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『ヒステリア―あるいは、ある強迫神経症の分析の断片』 [舞台]

まつもと市民芸術館共同製作 芸術監督串田和美プロデュース2007
『ヒステリア―あるいは、ある強迫神経症の分析の断片」』
東京公演 2007年2月13日~3月3日 シアタートラム
作 テリー・ジョンソン
翻訳 小宮山智津子
演出・上演台本 白井晃
美術 松井るみ
出演 串田和美 荻野目慶子 あさひ7オユキ 白井晃

一度だけダリがフロイトの元を訪ねたことがあるという事実に着想を得て書かれたというイギリスの劇作家テリー・ジョンソンの作品。イギリスでの初演は1993年。白井さんが演出する翻訳劇とあって楽しみではあったけれど、しかしなぜ今フロイトなのかという感もややあり。「無意識」がフロイトにより取り出されてから約100年ということで岩波書店からフロイト全集が刊行されてはおりますが。

1938年、フロイト、死の1年前のある雨の夜。ナチスから逃れ移り住むロンドンの自宅の書斎にて。安楽椅子で体を休めているフロイトの元に、一人の女ジェシカ(荻野目慶子)が飛び込んでくる。彼女はフロイトを信奉する女学生のフリをしたり、彼女の母がフロイトの患者だったと言ったり、フロイトに混乱をもたらす。主治医であり友人であるヤフダ(あさひ7オユキ)が診察のためフロイトを訪ねると、フロイトはジェシカの存在をヤフダに隠そうとし、そこへダリ(白井晃)が「ナルシスの変貌」を手にやってきて、ドタバタが繰り広げられる。
ジェシカは母の治療記録を見せろとフロイトに迫り、そのときの治療の様子を再現するうちに、ジェシカの抱える問題、ジェシカの母が抱えた問題が明らかになっていく。そしてそれらの問題はつまりフロイト自身の抱える問題でもあった。
フロイトが自身の精神の歪みとの対峙へと追い込まれていくと、舞台は幻想劇の様相を呈し、ダリの描く世界そのままに、時計は歪み、ドアが伸び、時間も空間も歪んでいく。映像も交えた舞台美術や装置によって創り出されるこの場面は、ロベール・ルパージュとの仕事の成果がまさにここに結実といった感じで圧巻だった。
ただ残念だったのは、ドタバタになっていくところや、ドタバタからまた変化していく部分で、どうも空気がぎくしゃくしているように感じられたこと。白井さんは演出に専念された方がよかったのではないかとちょっと思った。

白井さん演出のお芝居はいつも、舞台の上だけが舞台空間なのではなく、観客席も含めて劇場全体が一つの舞台空間としての空気に包まれるようにつくられている。舞台装置においても、役者さんの芝居そのものにおいても、またその他の要素においても。この作品でもそうした空間づくりの工夫が随所に見られた。
舞台装置に関しては、客席の両サイドのブロックをつぶしてまで、舞台上のフロイトの書斎と客席を同じ幅にしている。それによって、観客もフロイトと同じ書斎=フロイトの頭の中に閉じ込められ幻想を体験することになる。
また、お芝居の始まり方というのはだいたいにおいて、開演時刻があってそこに合わせて観客が集まり、観客はさぁ芝居が始まりますとなるのを待つわけだが、この作品では開演時刻前にフロイト役の串田さんが舞台に現れる。書斎の安楽椅子に座り、眠っているようにうつむいた姿勢のまま動かない。開演時刻になると客席の照明はゆっくりと落ちるが、フロイトはしばらく沈黙を保つ。そしておもむろに印象的なセリフが発せられる。それはフロイトが診察する患者に発せられたセリフであると同時に観客に向けて発せられたセリフでもある。実は観客の集まりとともに緩やかに芝居は始まっていて、それはおそらく、現実の世界と芝居の世界の境界をできるだけ曖昧にしようとする白井さんの意図なのだろう。


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