カミングアウト問題 [曇りの日のひとりごと]
次回予告までした「もしもアナタが名画座の館主だったなら」を下書きしたまま、一年以上の放置。ご無沙汰しております。
最近、カミングアウトについて考えております。同性愛者であることの告白としての狭義のカミングアウトではなく、他人には隠しておきたい自身のなんらかの性向や属性や健康状態などを表明するという広い意味でのカミングアウト。
ある「問題」を抱えているとして、その「問題」について悩みのまっただなかにあるときは、それをなかなか人には明かせないもので、悩みに悩んだ末明かすことがカミングアウトということなのでしょう。しかし人には明かさないまますでに悩みを乗り越えてしまった場合、その「問題」はどのように扱うべきなのでしょうか。
引き続きその「問題」は抱えているとしてもそれについて悩んでいたのは過去のこととなってしまったので自分の中では人に明かすことの敷居はすでになくなっているのだけれど、とはいえ他人にカジュアルに話せば相手は面食らうだろうなと思うと、その「問題」を自分の中でどういう位置において置くかを悩むわけです。
などと悩んでみたりしたところで、私の「問題」は明かしてみればカミングアウトということばを持ち出すほどの事案ではなかったという結果になることも十分あり得る話なんですけれど。
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