まだ知りたくなかったのに [曇りの日のひとりごと]
出産を控えた友人から聞いた、子どもの性別がわかる時期になったけれど生まれるまでの楽しみにとあえて聞かないつもりだったのに・・・のエピソード。
エコー検査をする医師が、「性別わかりますけれどお聞きになりますか?」と尋ねるので、聞かないでおきますと答えた彼女。エコー検査の医師は、同席していた主治医にも「先生はご存知なんですか?」と尋ねました。「いえ、まだ知らないんです」と言いながら画面を眺める主治医。するとおもむろに「あ、わかっちゃいました」と主治医。
「え~っ!先生そのリアクション!そのリアクションでもう男の子だってわかってしまうじゃないですか!」
ということで彼女は男の子の母となるそうです。「まあ、だいたいわかっていたからいいけどさ」と彼女は言っていましたが、先生だいぶ軽率です。
春のそぞろ歩き [曇りの日のひとりごと]
冬眠明けて、調子に乗って活動的になってしまったため5月は忙しくそろそろ息切れしてきた。梅雨時期はまたもぐります。
思春期にサウダージ [曇りの日のひとりごと]
"saudade"(サウダージ)ということばの持つ感覚はブラジル人にしかわからないとブラジル人は言う、という話をどこからとなく聞いていた。
以前、関越を走る車の窓から夕暮れの空を見て「もののあはれ」だなと感じ、そうか、「saudade」もこういうことなんだろうなと思ったことがあった。
今日本屋で手にした『サンパウロへのサウダージ』(クロード・レヴィ=ストロース著 今福龍太訳 みすず書房 2008.11)をめくったらまさに同じことが冒頭に書かれてあった。
自分だけが世界の秘密を知っていると思っていいのは思春期だけなのに。自分の思春期度の高さにあらためて嘲う。
以前、関越を走る車の窓から夕暮れの空を見て「もののあはれ」だなと感じ、そうか、「saudade」もこういうことなんだろうなと思ったことがあった。
今日本屋で手にした『サンパウロへのサウダージ』(クロード・レヴィ=ストロース著 今福龍太訳 みすず書房 2008.11)をめくったらまさに同じことが冒頭に書かれてあった。
〈サウダージ〉Saudadeという単語は翻訳不可能だ、とブラジル人はいう。日本人もまた、彼らのことばで〈あわれ〉という単語について同じことをいう。興味深いのはこれらの語にある共通性が見られることだ。「私が思いつくようなことなんて、すでにどこかで誰かが思いついている」なんてことは、もちろん頭ではわかっていたけれど、でもどこかで"自分だけがわかっている感"があったんでしょうね。軽くがっかり。やっぱり誰かが、それもレヴィ=ストロースが語っていた。それを知らなかったのは教養の問題か。
自分だけが世界の秘密を知っていると思っていいのは思春期だけなのに。自分の思春期度の高さにあらためて嘲う。